「風景」を変える

 あるmonoを「(よくあるパターンとして)とりあえず」という理由でそこに置く。
 最初のうちは「その場所はあくまで一時置きであって、置き場所が決まるなり処置が決まれば速やかに移動させる」つもりが、いつしか(そのmonoが)”そこにある風景”に慣れてしまい、あることは知っていても放置してしまう。
 もちろん時々は(そのmonoのことを)思い出す。でも(自分の目から見て)”その場に馴染んでいる”から、また表層意識から沈んでしまう。
 それを何度も繰り返した結果…いつしか第三者の目で見ると「不必要なmonoが不必要な場所」にある、という状況になる。

 不要なmonoを少しずつながら捨て、多少はスッキリしたと思うのだが、自分の住む場所の風景が第三者的に見て「これはちょっと…???」と思う(そしてそこに置いてある理由を相手に明確に説明できない)状況が多々発生していたことに(スッキリしたことで)ようやく気が付いた。そして第三者的視点を持つことの難しさを痛感している。
 とりあえず今は他人の気分wで部屋を見渡し、「これはなぜここにあるのか?」と感じるものを少しづつ片付けて、風景を変えているところだ(この時点ではまだ”整頓”)。それを一通り済ませてから、ようやく”整理”を始めることになるのだろう。