”シンプル”の形を変えてみた

 一時期、容器の移し替えに凝ったことがある。その袋その容器のまま保存すればよいものをわざわざいちいち取り出して、すっきりとした(といえば聞こえはよいが、要は何も書かれていない)容器に移し替える。食品しかり洗剤類しかり雑貨しかり。そしてそれをすること自体とその結果に一人満足していた。
 でも、ある時気がついた。「私は一人で生活しているわけではない」と。
 そう、容器を移し替えることで”中身が何で何のために使うのか”が、結果として私にしかわからなくなった。一人で生活しているならそれでもよいだろう、所詮ただの自己満足だからだ。でも現実はそうではなく、もしかしたら私以外の人間がそれらのmonoに触れる必要が生じるかもしれない。そのときにその人が何もわからない状態に陥ってしまう状況を、はたして”シンプル”と呼べるだろうか?と。
 そしてそのひとつひとつを他者に説明するには、要説明のmonoが多すぎ、かつ相手に説明し認識してもらう、かつ相手の言葉に耳を傾け理解するだけのモチベーションがこの家を構成する両人にないことは明確だった。なので”わかりやすさ=シンプル”とすっぱり考え直し、それ以後他容器への移し替えを止めた。
 移し替えを止めた結果、移し替えの手間が省けたこと、そして説明書きがすぐ読めることで使用分量等の疑問が減って快適になった。でもパッケージデザインに関しては、どれだけひいき目に見てもやはり鬱陶しい(ただ鬱陶しいからこそ目に付きやすいわけで)ので、極力表に出さないようにしている。ここで”効率の良さ=シンプル”と解釈するなら、全てのmonoをすぐ手の届く場所におけばよい話だが、さすがにそこまでは求めていないので、今は”とりあえず目にうるさくない”ように、色々なmonoが扉の奥にしまい込まれている。